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神戸地方裁判所 昭和37年(ワ)534号 判決 1964年6月04日

原告 岸本卓司

被告 国 外一名

訴訟代理人 山田二郎 外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訟訴費用は原告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

一、別紙目録記載の本件土地の外側に長さ約二〇〇間の石塊があること、又そこに一個の水門があること、原告が昭和三六年一月九日兵庫県知事に対し、ここの埋立再築の請願をしたこと、隣地が訴外松本木平等に払下げられたこと、地積がもと一四町二反一七歩と表示されていたことは当事者間に争がない。

二、成立に争のない甲一号証の一乃至三、同二号証の一乃至六、同一〇、一一号証の各一、二、同一三号証、同一四号証の一乃至七、同一五号証の一乃至六、原告本人の供述により真正に成立したと認める甲三号証の一、二、同四号証、成立に争のない乙七号証の一乃至一〇、同一二号証、証人山内静夫尋問の結果真正に成立したものと認められる乙一号証、同二号証の一、二、同三号証、同四号証の一乃至三、同五号証、同六号証の一乃至五、乙九号証の一乃至五、証人中須義男、山内静夫、原告本人各尋問の結果及び検証の結果によれば、原告の先祖は旧姫路藩六人衆の一人で文久年間以来岸本吉兵衛、吉郎、政蔵、恒太郎を経て大正一五年原告が家督相続して今日に至つたものなるところ、前記岸本吉兵衛は、文久元年本件土地を含むこの辺が遠浅の場所であるから開田したい旨願書を出しその頃から開田に従事したことがあると認められ(甲四号証)既に明治九年に作成された高砂町耕地図(甲一一号証の一、二、同一三号証)にこの附近を明瞭に区劃している事実が認められること、但しその土地の帰属如何については明瞭な証拠がなく、却つて明治になつて后は官民未定地として取扱はれたらしくその后明治一九年頃調査があつて官有地と認定され、埋築開懇して成功せば民有地とする即ち開田者の所有とするから一〇年以内の一定年限を限つて埋築開懇を願出よという指令があつたと認められること、このため、原告の先代岸本恒太郎は小西次郎平、津田新次郎とともに明治一九年一二月二一日戸長金沢嘉平の奥印(認証)を得て兵庫県知事にあて明治二〇年から同二六年迄七年の予定を以てここを埋築開懇したいから許可せられたい、竣工の上は検査せられたいという願書を差出し、翌年一月三一日附を以て兵庫県知事より願出の通り許可するという達しがあつたこと(甲三号の一、二)この願書には判然この土地を官有草生地と称し原告方でもこれが官有なることを認めていたこと、この埋築許可があつて后かそれ以前よりであるか明瞭でないが原告方ではここを干拓するため捨石を置き防潮堤を築き水門を造る等埋築工事を行いその残りが今尚現存していること過去に於て一、二度ここで稲を植付けたこともあるというが確でないこと、このように原告の先代は法律上も判然した許可を得て一部埋築干拓工事を行い、原告の地元高砂市に於て原告家がここを干拓したのだと一般に言伝えられているが、ここの干拓が竣功したという証拠はなく、むしろ明治二三、四年頃、原告先代その他からここは稲は育ち難いから塩田にしたいという申出があり、高砂町会ではその目録見書を検討しようということになつたがそれもそのままになり、干拓工事もそのまま打切りとなり陸地となつた隣地のみは分筆の上訴外松本亀太郎等に払下げとなつたが、ここはそのまま海面として放置され爾来ここが遠浅であるため潮干狩や海水浴場に使はれたり地元高砂漁業協同組合外七組合が漁業免許を有する地域となつて今日に至つており特に原告がここを占有して来たとは認められないこと(証人北山弥太郎は原告のため管理して来たようなことをいうているが明治二七年生れの同人がこの土地から収益の上つたのを見たこともないのに管理して来たというのは措信できない。)又昔からこの辺一帯は遠浅であるため干潮時には砂地が見えるが満潮時には海となりその状態は今日も同じであり、昭和三六年八月三〇日被告兵庫県は兵庫県知事よりこの辺一帯の公有水面を埋立てる許可を得て工事を始めたがその際訴外岡野兼夫等に命じて作成させた高砂港臨海工業地帯測量図(乙一号証)によれば原告主張の地域は満潮時には完全に海水に覆われて海となり、その内部は水深三〇糎乃至五〇糎に達することが認められ、ここを海面というに妨げないこと、こういう遠浅の状態は、多少本件地域の処が奥深くなつていて、そのために原告の祖先がここ干拓の対象としたものと考えられるが、これはこの沿岸線一帯の現象であつて特に原告の祖先が埋立をした結果が残つているためといえるかどうか疑問であることの各事実が認められ、以上の認定に反する証人北山弥太郎、原告本人尋問の結果は措信しない。

そこで、原告の請求原因について案ずるに原告は祖先岸本吉兵衛が明治初年被告国とここを埋立てる契約を結び埋立を実施した、仮にこの契約上の権利が認められないとすれば原告の祖先が出願して行つた埋立工事は、大正一〇年に制定された公有水面埋立法に承継され、原告がこれを祖先より承継したから本件地域を使用する権利があるというのであるが、原告主張の土地無償使用を許容した契約の存在は、それを認める証拠がない。原告の祖先岸本吉兵衛が文久年間から明治にかけここの開田願を出して開田に当つたであらうこと原告の先代岸本恒太郎が明治一九年一二月ここの埋築願を出して埋築に当つたことは既に認定した通りであるがこれらの工事が何れも竣功せず今日に至つていることも明らかであるから原告が過去の実績に基き埋立をさせよという請求ならばともかく、過去に於て費用を投じた事実があらうと一部の工事施行即ち竣功しなかつた工事を実施したことを原因として原告にその地上権や使用権ありと認め得る根拠は存在しない。又大正一〇年に制定された公有水面埋立法が従前の法制を整備統一し附則に於て同法施行前になしたる処分、申請その他埋立に関する手続が同法によりなされたものと看做しこれを承継したこと、同法二二条が「埋立ノ免許ヲ受ケタル者ハ埋立ニ関スル工事竣功シタルトキハ遅滞ナク地方長官ニ竣功認可ヲ申請スヘシ」と規定し又同法二四条が「第二二条ノ竣功認可アリタルトキハ埋立ノ免許ヲ受ケタル者ハ其ノ竣功認可ノ日ニ於テ埋立地ノ所有権ヲ取得ス」と定めていることは原告主張の通りであるが、たとえ原告がこの適用を受けるとしてもそれは一定の年限内に埋立が竣功したことを前提としている規定であり、況んや同法制定より遙か三〇年以前埋立工事を打切つたと認められる原告の先代にこれに基く権利の発生しようがなく、その他原告の請求を認め得る根拠は何処にもない。又原告がここを占有して来たという事実の認められないことも既に説明の通りであるからこれを前提とする原告の請求も採用しがたい。最后に一部残存する防潮堤、水門の所有権であるが、これらは文久年間から明治二〇年代にかけ原告の祖先が埋築を行つた際設置されたものであろうとは認められるがこれが原告の祖先のみの所有に属するという証拠はなく(却つて共同して出願した人々と一しよに設置したものと見られる)永年これを放置しておいたに過ぎず又公有水面埋立法三五条は埋立免許失効后は免許を受けたる者が原状回復をなすべきこと、地方長官がこの義務を免除した場合は該工事施行区域内の土砂その他の物件を無償にて国の所有に属せしむることができると規定している位であるから、地方長官がその意思表示をなした証拠はないとはいえ原告の方で所有権を放棄したと見るのを相当とする。又たとえばその所有権放棄の事実なしとするもそのことが原告に土地使用権を認める根拠とはなり得ないので爾余の判断を侯つことなく原告の請求は理由がない。

以上何れよりするも原告の請求を認容することはできないのでこれを棄却することとし、訴訟費用に民事訴訟法八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 森本正 菊地博 大石貢二)

目録<省略>

図面<省略>

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